耳すま日記

NPO法人耳をすませばのブログです

“よか”

 

 昭和59年結婚して初めて住んだのは、九州の佐賀市でした。最近の大雨による水害でもわかるように水路の多いまちでした。住んでいたアパートも水路のすぐ脇でした。

 佐賀市に住んで、驚いたことがいくつかありました。やたらと軽自動車が多いことと白黒のカラスがいたことです。当時、佐賀県が軽自動車普及率全国NO1でした。白黒のカラスは勝ちガラスといい、豊臣秀吉朝鮮出兵の折り、縁起がいいと持ち帰ったものだと知りました。また普通の米が大変おいしく、買いに行く米屋さんが佐賀の米は目立たないが全国有数の米だといつも自慢していました。住んでみると旅行だけでは気づかないことが多々あるものです。佐賀に始まり、その後家族で全国各地に住んだことは色々な意味で大変良い経験になったと感じています。

 仕事は高速道路建設工事で、現場は熊本の人吉から来た作業班と青森から来た作業班での工事体制でした。現場でのやり取りを聞いていると、熊本弁と青森弁が飛び交い、互いにちゃんと理解しているのか疑問な、不思議な光景が日々展開していました。

 主任としての初めての現場で、色々と大変なことも多く、日々奮闘の連続でした。しかし熊本弁と青森弁に囲まれ、北海道弁で通訳をするような雰囲気で、結構楽しくやっていました。

 現場によく来る、地元の運送会社の社長さんがいて、所長から何か困ったことがあったら相談するように言われていました。現場で困った時に社長にこうしてほしいと相談すると、いつも答えてくれる言葉が「よか」でした。あれこれ言わず「よか」と言ってくれることで安心でき、大変うれしく思っていました。その時の「よか」の声の響きは30年以上経ったいまでも耳にしっかり残っています。

 私の持つ九州男児のイメージは西郷隆盛で、「太か男」と表現される存在で、老若男女関係なく大勢の人に慕われる存在です。

きっと西郷さんもまわりに大きな安心感や信頼感を与える人だったのだと想像します。

 今は体だけが「太か男」で精神面がついて行っていませんが、生きている間は、少しでも真の「太か男」に近づけたらと思い過ごしています。

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“顔で笑って・・・”

 寅さんの新作が今年公開になります。渥美清さんの姿をスクリーンで見ることができます。高校生の頃からずっと寅さんシリーズを見続けていた私にとって今年のビッグニュースです。

 

 映画の中での好きな場面は一杯ありますが、一番好きなのはシリーズ第11作「寅次郎忘れな草」の中でのキャバレーのどさ回り歌手リリー(浅丘ルリ子)との網走港での出会いと会話の場面です。

 

 出漁していく漁船を見送る家族の姿をじっと見つめながら、「自分たちの存在はあってもなくてもどうでもいい泡(あぶく)のような存在だ」というリリーに、寅さんが「上等な泡でなく、風呂の中の屁みたいなものだ」といい笑い合う場面で、他の人とはちょっと違う生き方をしている者同士の通じ合う気持ちがしみじみと伝わってきます。日常の生活、幸福、自分の存在とかいろいろなことを一瞬に感じ、考えさせられる会話で場面だったように思っています。

 

 多くの人は今の自分や周りの環境を当たり前と感じて生きています。そのため、持っているものの深さ、厚みがわからないのです。人生を底部から理解している人にはその深さ、厚みがわかります。そしてそれを理解し、受け止めて生きている人には、輝く魅力的な表情があります。それが寅さんだと思っています。

 寅さんは人生の深さ、厚みを知り、それを受け止め生きていることで魅力的な存在なのだと思っています。

 全てをそのまま受け入れてくれる存在、飾らず、背伸びせず、自然に受け入れてくれる存在というのはホッとする存在です。

 「耳をすませば」はそういう存在を目指しています。寛容さが乏しくなってきている社会ですが、より多くの人が集えるような活動をこれからも進めていきます。

 

 “男というものつらいもの、顔で笑って、顔で笑って、腹で泣く、腹で泣く”

                         (主題歌:男はつらいよ

 

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高校1年生

 実家を取り壊すときに、仏壇を整理していたところ、高校1年生の時に札幌の下宿先から送った手紙が奥の方からでてきました。たぶん後にも先にもその手紙が唯一、親にあてて書いた手紙です。

内容はちょっと生意気な文章で、「僕は僕さ」といった感じでした。その手紙から半年後に母が亡くなったので、母が読んで仏壇の奥にしまったのだと思います。その時どんな思いでしまったのかいろいろと考えてしまいました。

 改めてこんなことを書こうと思ったのは、今年、北見北斗高校の1年生と一緒に地域課題を考える場に参加することになり、自分の高校1年生時代を思い出そうとしたからです。自分たちの時代から見ると素直で生意気な感じがせず、挨拶もしっかりとしており雰囲気が違うなと感じました。約半世紀ぶりに高校に入るので、話が通じるのか不安な面もありましたが、普段行っているワークショップより濃い話し合いができていると感じる場面が多々あります。

自分たちの高校生時代は学生運動の終盤のような時期で、権力や権威に対して反発するのが当然派とノンポリ派が混在している時期でした。地域課題など議論したことなどありませんでした。

これからの20年、30年は人口も減り、高齢者が増え、いままでの制度や仕組みが大きく変化していくことが予測されます。そんな時代を生きていく今の高校生たちがどれだけ賢くふるまい、思いやりを持ってくれるかが、時代の雰囲気を大きく左右すると思っています。

 今後の社会では、ひとりひとりの役割が今まで以上に重層的になることが求められ、様々な変化を柔軟に受け入れていかなければなりません。その時に重要な事は相互尊重、相互理解です。

 我々から上の世代は競争を糧にして豊かな時代を作り上げてきました。成長が豊かさを作り上げるという考えで、実際それを実現してきました。

 今、豊かなはずの日本で貧困という言葉が日常的に語られています。何か思考と行動に問題が生じてきている結果なのだと思います。次の時代に合った考えや仕組みを作り出していかなければなりません。

 高校生たちにいい時代に生まれて良かったと思えるような時代をつくっていくそんな活動をしていくことが大変重要だと感じています。

 母が50年後の自分にこんなことを考えさせるために手紙をしまっておいてくれたのだと思っています。

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忘れなかった言葉

 

 私の小学生時代はテレビっ子でした。両親が夜の仕事でしたので、誰にも咎められずに一人で夜遅くまでテレビを見ていて、11PMという大人向けの番組を12時ころまで見ていたこともありました。アニメの番組はもちろん、提供会社のCMまで覚えていて、家族はあきれ返っています。自由気ままな生活を送っていたと改めて思います。

 

 夏休み、冬休みは昼もテレビ三昧で、奥様向けのワイドショーまで見ていました。今はほとんどテレビを見ないのは、子供時代に一生分見てしまったからではないかと思うくらいです。

 そんなワイドショーの中に人生相談のようなコーナーがあり、その冒頭に流れる言葉がありました。

なぜかその言葉をいままでずっと忘れず、いろいろな場面で頭をよぎっています。

 

 それは「幸福な家庭はみな一緒だが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」という言葉です。

この言葉の出典を知ったのは高校生になったときです。高校1年生の夏休みに読書感想文を書くことになり、何か大作を選んでやろうと意気込んで、ロシアのドストエフスキートルストイの本を選ぶことにしました。選ぶ過程で、トルストイの「アンナ・カレニーナ」を開いた真っ先に書いてあった言葉が「幸福な家庭はみな一緒だが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」でした。表現はもう少し難しく書いてありましたが、ああこれだと思いました。

 

 60年以上生きてきて、確かに幸福だと感じる状態は似たようなもので、不幸だと感じる状態はそれぞれ異なっていたと実感しています。NPO活動等でさまざまな人や情報に接していると、この言葉は多くの人にとって真実なのだと思っています。最近発生している事件をみても、みなそれぞれに葛藤を抱えて苦しみながら必死に生きようとし、あるものはそれに押しつぶされてしまう姿が見えてきます。

 

 これから人口減少、高齢化が一段と進んでいくと、これまで体験したことないような状況がさまざまな場面で現われてくるでしょう。「長寿」という言葉がありますが、100年生きて本当に「長寿」と思える人がどれだけいるか不安に思う時もあります。

 

 NPO法人耳をすませば」では、高齢者介護予防事業としてiPadを利用した事業を開始しました。

少しでも高齢者の方々が元気に暮らしていけるようにサポートしていかねばと思っています。

100年生きてよかったと本人やまわりが思えるような社会づくりに少しでも貢献できるよう活動を推進していきます。

次の時代をつくるのは「亀」か「年」か

      

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年号が変わると、新しい時代が始まる、何かが変わるという感覚になります。人は本来、変わらないことを望むもので、変化を求めるときも、自分に都合の良い変化を望みます。しかし当たり前といえば当たり前ですが、全員に都合の良い変化などあろうはずがありません。

 

統一地方選挙も終わり、各地で新しい体制で新しい政治が始まります。次の時代をより良くする公約を実現するための努力が始まります。人口減少、高齢化、財政赤字どれをとっても即効性のある解決策がない課題ばかりです。状況はさらに一段と厳しくなるばかりでしょう。これまでは利益の分配を上手にすることが求められました。少しでも自分のところに多くと、さまざま団体が活動し、既得権を作り上げてきました。100兆円を超える国家予算の中で、まだまだ同じような動きが続いていますが、限界も見えてきています。

 

次の時代に合ったシステムづくりが各地で試行錯誤しながら始まっています。その一つが小規模多機能自治と呼ばれるものです。私の住む北見市も今年、小規模多機能自治ネットワークに加盟し、住民協働組織形成を推進し高齢社会に備えようとしています。これまでもNPO活動として組織づくりに関わってきましたが、既存団体、既得権、将来予測の知識不足(告知不足)などさまざまな要素が絡み合い苦戦してきました。それを従来のやり方だけでほぐしていくのは実に大変な作業です。

 

 北見市にある道立北見北斗高校はスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定され、高校生たちが研究テーマを決め、グループで活動し発表する授業を行っています。今年度、地理情報システム(GIS)を活用した授業が始まります。地図上でさまざまな情報を「見える化」するものです。

今年度研究テーマのひとつに、人口減少、高齢化に伴うさまざまな地域課題を見える化し、その解決策を高校生と町内会、住民協働組織が一緒になって考える内容を予定しています。これから50年先まで未来を担う高校生たちがしっかり現状と近未来の問題を把握し、住民と一緒に解決策を考え提言をおこない、住民や行政がそれを施策化実践していくことで、遠い未来に向かっていこうというものです。 

 

「令和」はリスクを上手に分配することが求められる時代です。普通に考えればちょっと重い気分になる時代です。それを楽しく、面白く実践していくためには、最新ITを使いこなす若い世代と高齢者が一体となったスタイル(亀の甲×年の劫)が有効だと考えています。孫たちの将来のために、一肌も二肌も脱いでくれる人たちが大勢現れて、腕まくり、ねじり鉢巻き姿で「まかせなさい」と盛り上がる姿を思い浮かべ、高校生と一緒に開始する活動を楽しみにしています。

 

追伸:つたないブログにもかかわらず、多くの方々に見ていただき、そのうえシェアまでしていただきありがとうございます。これからも折々の話題を月に2回程度投稿していきます。新しい時代も「NPO法人耳をすませば」と「耳すま日記」をよろしくお願いいたします。

              (NPO法人耳をすませば 代表理事 谷井貞夫)

奈良時代の世界主義・風月同天

 

新しい元号が決まりました。「令和」で出典は奈良時代万葉集からだそうです。古事記日本書紀ではなく和歌集からということで好感を持って受け入れられているようです。

私は高校時代日本史が大好きで、全国大学入試模擬試験で順位が一桁だったこともあります。

奈良時代は日本史のなかでは書物から歴史をはっきり知ることができるようになる時代です。

 

奈良時代の有名な出来事の一つに「長屋王の変」というのがあります。皇族の長屋王と藤原一族との権力争いで長屋王が破れ自害するという事件です。その後、勝った藤原一族は平安時代へと隆盛をきわめていきます。長屋王は政治家としても優秀でしたが、学者としても一流だったようです。

仏教への造詣も深く、中国大陸との交流もさかんにおこなっていました。

 

そんな長屋王が中国に送った袈裟の縁に刺繍された文字が「山川異域、風月同天」です。意味は日本と中国でそれぞれ住んでいる地域の山や川は異なるが、天を見れば同じ月をながめ、同じ風に吹かれているといった内容です。国同士の関係を非常に大きなスケールでとらえた魅力的な言葉として覚えています。鑑真が日本に渡るきっかけになった言葉ともいわれています。

 

いま日本は少子高齢化が進み、人手不足が深刻化し、外国人の受け入れが本格的に進もうとしています。われわれのまわりでも、外国人の姿が増えてきています。

NPOの活動で北見工業大学の留学生と一緒になる場面が多々あります。中国、韓国、モンゴルを中心に多くの国から留学生がきています。彼らと話すのが楽しく、1月には遠軽町で地元住民との料理交流会を開催しました。中国の本場チャーハンやインドカレーなどを一緒に作りながら、小中高生や高齢者との方々との楽しい交流会でした。

     

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草の根的な活動ですが、同じものを食べ、同じ空間を共有することで、気持ちも共有できる部分があると感じています。長屋王が贈ったメッセージは同時代を生きる世界主義のあらわれであり、遠い奈良時代でもそのように行動していたひとがいたことは、誇りに思ってよいことだと思います。

これから急速に進む多様化の時代を、「風月同天」に込められた思いをしっかりと理解し、「ローカルな地球人」として活動していきたいと思っています。

若い頃の思い

前回のブログで取り上げたザ・ブルーハーツの曲が缶コーヒー以外の色々なCMで流れています。「情熱の薔薇」を有村架純が電気メーカーのCMで、「人にやさしく」が食品メーカーのCMで歌われています。

 

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30年経ってなぜ今こんなに流れているのかと思いました。あの当時ライブで熱狂していた20代の若者は今50代になっています。会社や職場で責任ある立場になってきている時期です。

 

ザ・ブルーハーツの曲は歌詞に大きな意味があると思っています。若者たちは単に激しいリズムだけではなく、歌詞に共感していたはずです。その頃の思いを持ち続け、自分が決定できる立場になり、それを伝えたいという気持ちが、同じような時期にCMという形で表れてきているのではと思います。

 

どんな時代にも社会課題があり、それを解決しようとする人たちがいます。特に若い人たちには純粋にそのような活動、仕事に取り組もうと考える人が多いのではないでしょうか。

しかし、なかなかまわりの理解を得られず、また具体的な行動方法がわからず、なにもできずに世の中の流れに取り込まれていく人も多いと思います。

 

社会を変えるということは、人の気持ちを変えることです。これは実に大変なことで、単に良さそうだからとか理屈で変わるものではありません。しかし、昔自分が思っていた気持ちを思い出し、それを行動に移していくことで、自分を変え、結果、社会を変えていくことは十分可能だと考えます。

 

CMの曲を口ずさみながら、これからの日本にちょっぴり希望を感じています。

 

「なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せ、なるべく一杯集めよう、

そんな気持ちわかるでしょう。」(情熱の薔薇)