耳すま日記

NPO法人耳をすませばのブログです

高校1年生

 実家を取り壊すときに、仏壇を整理していたところ、高校1年生の時に札幌の下宿先から送った手紙が奥の方からでてきました。たぶん後にも先にもその手紙が唯一、親にあてて書いた手紙です。

内容はちょっと生意気な文章で、「僕は僕さ」といった感じでした。その手紙から半年後に母が亡くなったので、母が読んで仏壇の奥にしまったのだと思います。その時どんな思いでしまったのかいろいろと考えてしまいました。

 改めてこんなことを書こうと思ったのは、今年、北見北斗高校の1年生と一緒に地域課題を考える場に参加することになり、自分の高校1年生時代を思い出そうとしたからです。自分たちの時代から見ると素直で生意気な感じがせず、挨拶もしっかりとしており雰囲気が違うなと感じました。約半世紀ぶりに高校に入るので、話が通じるのか不安な面もありましたが、普段行っているワークショップより濃い話し合いができていると感じる場面が多々あります。

自分たちの高校生時代は学生運動の終盤のような時期で、権力や権威に対して反発するのが当然派とノンポリ派が混在している時期でした。地域課題など議論したことなどありませんでした。

これからの20年、30年は人口も減り、高齢者が増え、いままでの制度や仕組みが大きく変化していくことが予測されます。そんな時代を生きていく今の高校生たちがどれだけ賢くふるまい、思いやりを持ってくれるかが、時代の雰囲気を大きく左右すると思っています。

 今後の社会では、ひとりひとりの役割が今まで以上に重層的になることが求められ、様々な変化を柔軟に受け入れていかなければなりません。その時に重要な事は相互尊重、相互理解です。

 我々から上の世代は競争を糧にして豊かな時代を作り上げてきました。成長が豊かさを作り上げるという考えで、実際それを実現してきました。

 今、豊かなはずの日本で貧困という言葉が日常的に語られています。何か思考と行動に問題が生じてきている結果なのだと思います。次の時代に合った考えや仕組みを作り出していかなければなりません。

 高校生たちにいい時代に生まれて良かったと思えるような時代をつくっていくそんな活動をしていくことが大変重要だと感じています。

 母が50年後の自分にこんなことを考えさせるために手紙をしまっておいてくれたのだと思っています。

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